太平洋戦争

目指せ航空優勢!開戦前から拡充に努め海軍陸上航空隊

日本海軍は航空戦力を軽視していたという説が根強くあります。
大きな理由として2つが考えられ、ひとつは「大艦巨砲主義、艦隊決戦思考から脱却できなかった」こと、もうひとつは「開戦直後に大和・武蔵の2隻が相次いで就役した」こと。

実は開戦が避けられなくなると、大和型三番艦「信濃」や改鈴谷型「伊吹」が建造中止など、主力大型艦の建造中止に踏み切り、潜水艦と航空機の生産が優先。
ミッドウェー海戦後には空母15隻の建造、既存艦艇の空母改装など、航空戦力確保により注力します。

主力艦や空母建造の流れは知っている人も多いと思いますが、陸上航空隊についてはあまり知られていない、単に自分が知らなかったため、改めて戦前~開戦に至るまでの「陸上航空隊」軍備計画の歴史を調べました。

※対米戦決断の一因として、「大和」「武蔵」の竣工ではなく、「翔鶴」「瑞鶴」の竣工が大きかったとも言われています。


最初期

1915年(大正4年)6月の「若宮」
1915年(大正4年)6月の「若宮」

「八四艦隊案」(大正五年度計画)

海軍軍備計画の中に、初めて航空隊整備計画が盛り込まれます。
大正5年度(1916年)から大正9年度(1920年)まで5ヶ年の継続費として、横須賀に陸上航空隊3隊を新設することになりました。

それまでは、保有機12機、搭乗員15名と微々たるもの。
当然ながら空母も保有しておらず、水上機母艦「若宮」を有するのみでした。


霞ヶ浦空所属の十〇式二号艦上戦闘機
霞ヶ浦空所属の十〇式二号艦上戦闘機

「八六艦隊案」(大正七年度計画)

「八四艦隊案 航空隊整備計画」の陸上航空隊既定3隊に、新たに5隊を追加して計8隊に拡充。継続年限も大正9年度(1920年)から2年間延長して大正11年度(1922年)までとしました。

この軍備計画時に、世界初の空母「鳳翔」が建造されています。
(同期計画艦は、天城型戦艦「愛宕」「高雄」、軽巡洋艦の長良型「由良」「鬼怒」「阿武隈」などの計86隻)

一言メモ

大正7年、陸海軍航空が世界列強に比べて立ち遅れていることを憂慮していた山下亀三郎(山下汽船社長)が、陸海軍航空整備費として100万円の献金を行いました。
この100万円は陸海軍に50万円ずつ配分され、海軍は外国機23機を購入、海軍航空術の発達に大きく貢献しました。


横須賀海軍航空隊所属の一三式二号艦攻
横須賀海軍航空隊所属の一三式二号艦攻

軍縮条約下

「八八艦隊案」(大正九年度計画)

「八六艦隊案」にて8隊に拡充された既定計画を、更に17隊まで拡充します(通称:旧計画17隊)
内訳は、実用隊15隊(横須賀5隊、呉4隊、佐世保5隊、舞鶴1隊)、練習隊2隊の計17隊です。

しかし、このあと二つの軍縮条約や関東大震災の影響などもあり、完成時期が大正15年度(1926年)から大正18年度(昭和2年度)まで繰り下げられることになります。

「八八艦隊案」が見直され、新たに計画された「大正12年度艦艇補充計画」で「赤城」「加賀」の空母改装が、「昭和2年度艦艇補充計画」で空母「龍驤」が建造されます。


三式陸上初歩練習機
三式陸上初歩練習機

「①計画」(昭和6年度)

ロンドン軍縮会議を契機に、水上兵力の不足を補う一策として本格的な航空機整備拡充の方向に進むことになります。

「①計画」当初案では陸上航空隊28隊増勢を要求するものの14隊増勢に着地。軍令部要求の計画からはるかに遠いものとなりました。
昭和6年度(1931年)~昭和11年度(1936年)までの6カ年計画で整備を進めることになります。

加えて空母の建造予算は不成立になりましたが、「①追加計画」において、空母改装を見据えた潜水母艦「大鯨」(後の空母「龍鳳」)が建造されます。


満州国海上警察隊の九四式艦上爆撃機
満州国海上警察隊の九四式艦上爆撃機

「②計画」(昭和9年度)

昭和9年度(1934年)から昭和11年度(1936年)に至る継続費として、「①計画」既定の14隊計画予算に、8隊増勢予算を追加します。
旧計画17隊+①計画14隊+②計画8隊=完成飛行隊数合計39隊を目指すことに。

この「②計画」に、空母「蒼龍」「飛龍」の他、空母改装を見据えた水上機母艦「千歳」「千代田」、給油艦「剣崎」「高崎」(後の空母「祥鳳」「瑞鳳」)が建造されます。
(同期計画艦は上記他に、巡洋艦「利根」「筑摩」、白露型駆逐艦4隻、朝潮型駆逐艦10隻、工作艦「明石」などの計48隻)



離陸滑走中の九六式陸上攻撃機(G3M-37)
満離陸滑走中の九六式陸上攻撃機(G3M-37)

軍縮条約明け~開戦前

「③計画」(昭和12年度)

「③計画」では、昭和12年度(1937年)から昭和15年度(1940年)までの4ヶ年計画で、陸上航空隊14隊を増勢
既定計画の39隊とあわせて計53隊(827機)、艦載搭載機1,089機の計画が決定します。

この「③計画」には、戦艦「大和」「武蔵」の他、空母「翔鶴」「瑞鶴」が含まれています。
(同期計画艦は上記他に、陽炎型駆逐艦18隻(うち3隻は未建造)などの計66隻)


1941年(昭和16年)、中国戦線における零式艦上戦闘機一一型 (A6M2a)
1941年(昭和16年)、中国戦線における零式艦上戦闘機一一型 (A6M2a)

「④計画」(昭和14年度)

これまで20年強かけて整備してきた陸上攻撃隊既定53隊を、昭和14年度(1939年)から昭和18年度(1943年)までの5年間で、一気に倍増させる「75隊」増勢が決まります(内訳:実用隊34.5隊、訓練隊40.5隊の75隊)。
既定計画と合わせると計128隊、昭和18年度末の完成を目指します。

陸上飛行機は常用・補用計1,476機。別に輸送機35機。ならびに海上航空兵力は空母艦載機常用・補用計126機、水偵48機の計174機。
既定計画と合わせると、陸上航空隊は実用隊65隊+練習隊63隊=128隊(計2,338機)。海上航空兵力は1,263機です。

その後、5カ年計画を4カ年計画に繰り上げ、昭和17年度中に完成目処が経ちます。

この「④計画」で、空母「大鳳」が建造されます。
(同計画では計80隻の建造計画でしたが、大半が建造中止・未建造となりました。冒頭の戦艦「信濃」、巡洋艦「伊吹」なども該当します)

参考:日本海軍「航空隊戦備計画」の推移

日本海軍「航空隊戦備計画」の推移
『戦史叢書 海軍戦備<1> -昭和一六年十一月まで-』を元に管理人作成
日本海軍「航空隊戦備計画」の推移
『戦史叢書 海軍戦備<1> -昭和一六年十一月まで-』を元に管理人作成

最後に

隊数・機数と数字だけ追っていくと分からなったのですが、「練習隊」にもかなりの資源を投入しています。
機数(定数)以上の搭乗員を確保していくためにも、継続的な養成は必要なんでしょうね。

「③計画」では今後増加する搭乗員に備えて練習隊の拡充、「④計画」では陸上攻撃機を中心に保有数を一気に倍増させるという、かなりチャレンジングな整備計画です(後続の「⑤計画」では更に160隊(実用隊67隊、練習隊93隊)増勢)。

「④計画」の完成前に開戦となり、以降は消耗分を補充して余った分を増勢に回していた印象があります。

並行して調べた「海上航空兵力(空母艦載機)」も、思っていた以上に余裕がない。
開戦後半年間の主だった3つ海戦、真珠湾攻撃で29機、珊瑚海海戦で81機、ミッドウェー海戦で285機の空母艦載機損失。保有機数と比較してみると短期間に約1/3を損失、絶望的になりますね…。

いつか、配備された各航空隊の「機種」や「定数・充足率の推移」なども調べてみたいと思います。

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てんこ

40代シンパパ。マーケティングリサーチャー。小学校高学年で光栄「三国志」にハマり、「提督の決断」にも手を出し、高校時代から架空戦記が愛読書。戦記物が大好き。歴史大好き。バンドにもハマって今でもBassが心の友。空き時間で資格勉強中(取得済:メンタルヘルス・マネジメント検定Ⅱ種・Ⅲ種)。老後を見据えた趣味として、歴史に関する考察などを書いていきたいです。

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