太平洋戦争 雑学

『正式名称』何が正しい?太平洋戦争?大東亜戦争?第二次世界大戦?それとも?

はじめに

1930年代後半から1940年代半ばまで、日本が参加していた戦争のことを何と呼びますか?

このブログでは主に「太平洋戦争」を用いていますが、特に深い考えがあってのことではないです。
カテゴリーの作成にあたって「第二次世界大戦」「大東亜戦争」と迷いましたが、主に日本海軍をメインテーマに考えていたため、対象範囲(戦域)とほぼ一致していることと、一般的に使われていると思われる呼称の印象から採用しました。
他の呼び方としては「今次大戦」「先の大戦」「アジア・太平洋戦争」などもあるようですね。

早速ですが今回は正式な呼称と、その他の呼称について振り返っていきたいと思います。


戦争の起点はどこなのか

不明 - パブリック・ドメイン, リンクによる

日本が戦争への道を歩き始めた、その起点はどこに置くのでしょうか

呼称の経緯を探る前に、まずは「戦争の起点」がどこかを考えてみました。
考え方としては大きく2つあると思います。

  • 1937年7月(昭和12年)、盧溝橋事件を発端とした「北支事変」(後に続く支那事変)
  • 1941年12月(昭和16年)、真珠湾攻撃(本当はマレー上陸作戦のほうが早い)から始まった「対米・対英戦争」

北支事変のあと、日本は自衛権行使のため中国への派兵を続け、第二次上海事変が勃発。戦線は中国大陸全土に拡大していき、日華事変や日支事変と呼称されるようになりました。そして1937年9月2日、「北支事変」を「支那事変」と呼称する閣議決定をしました。

1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃やマレー上陸作戦開始時点で、対米英戦の呼称はまだ未確定でした。
同年12月10日、まずは大本営政府連絡会議において「今次戦争の呼称並びに平戦時の分界時期に関する件」を決定、「支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」とされました。

その翌々日12月12日、「今次戦争の呼称並びに平戦時に分界時期等に付いて」が閣議決定されました。
この閣議決定の第1項で「今次の対米英戦争及び今後情勢の推移に伴い生起することあるべき戦争は支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と明記。
また第2項で「給与、刑法の適用等に関する平時、戦時の分界時期は昭和16年12月8日午前1時30分とす」ともされました。

当時の日本政府公式見解として、正式呼称は支那事変と対米英戦争を合わせて「大東亜戦争」、その起点は「昭和18年12月8日」だったようです。

今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ

昭和16年12月12日 閣議決定
収載資料:内閣制度百年史 下 内閣制度百年史編纂委員会 内閣官房 1985.12 p.242 当館請求記号:AZ-332-17
一、今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス
二、給与、刑法ノ適用等ニ関スル平時、戦時ノ分界時期ハ昭和十六年十二月八日午前一時三十分トス
三、(略)

国立国会図書館サーチ:https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/db/cabinet/s16_17/bib00362

ちょっと豆知識①

「支那事変」と呼称すると閣議決定しましたが、日中の武力衝突は双方宣戦布告や最後通牒を行っておらず、正式に戦争に突入したのは1941年12月9日、蒋介石政権が日本に宣戦布告を行ってからでした


なぜ「大東亜戦争」の呼称が使われなくなっていったのでしょうか。


不明 - 月刊沖縄社「東京占領」より。なお、この写真は既に公表済である。, パブリック・ドメイン, リンクによる

当時は「大東亜戦争」が正式名称で、敗戦後(ボツダム宣言受諾後)も暫くは一般的に使用されていたようです。
ですが、GHQから発せられた幾つかの覚書やプレスコードよって、「大東亜戦争」を始めたとした戦時用語の使用が避けられるようになっていきました。

1945年(昭和20年)9月10日、GHQから「ニューズ頒布についての覚書」、9月19日には「プレス・コード(新聞規約)」が発出され、マスコミに対するGHQの規制が強化されました。
GHQはさらに「プレス・コードにもとづく検閲の要領にかんする細則」を発して新聞・雑誌がGHQの検閲を受けること、さらに「『大東亜戦争』『大東亜共栄圏』『八紘一宇』『英霊』のごとき戦時用語」の使用を避けるように指令しました。
こうした流れのなか、12月7日には朝日新聞が「太平洋戦争」の呼称を初めて使用し、12月8日には新聞各紙がGHQ民間情報教育局作成の「太平洋戦争史-真実なき軍国 日本の崩壊」の掲載を開始しました(全10回)。
この戦争史は「満州事変から太平洋戦争までを連続した戦争」として捉えており、「太平洋戦争」という呼称を導入した意味でも、この掲載が果たした役割は大きいようです。

そして1945年12月15日、GHQが日本政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件」(通称「神道指令」)のなかで、「『大東亜戦争』および『八紘一宇』などの、国家神道、軍国主義、国家主義に緊密に関連する言葉」の使用を公文書において禁止することが指令されました。
これによって政府部内の「大東亜戦争調査会」などは「戦争調査会」と改称され、関連法令にある「大東亜戦争」の語句もすべて「戦争」に置き換えられ、「大東亜戦争」の呼称は公文書からも消えていきました。

「大東亜戦争」の呼称は日本自ら避けていったというよりも、アメリカ主導のもとで「太平洋戦争」の呼称が浸透していったように思います。

連合国軍最高司令部指令

国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件(昭和二十年十二月十五日連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号(民間情報教育部)終戦連絡中央事務局経由日本政府ニ対スル覚書)

一 国家指定ノ宗教乃至祭式ニ対スル信仰或ハ信仰告白ノ(直接的或ハ間接的)強制ヨリ日本国民ヲ解放スル為ニ戦争犯罪、敗北、苦悩、困窮及ビ現在ノ悲惨ナル状態ヲ招来セル「イデオロギー」ニ対スル強制的財政援助ヨリ生ズル日本国民ノ経済的負担ヲ取り除ク為ニ神道ノ教理並ニ信仰ヲ歪曲シテ日本国民ヲ欺キ侵略戦争ヘ誘導スルタメニ意図サレタ軍国主義的並ニ過激ナル国家主義的宣伝ニ利用スルガ如キコトノ再ビ起ルコトヲ妨止スル為ニ再教育ニ依ッテ国民生活ヲ更新シ永久ノ平和及民主主義ノ理想ニ基礎ヲ置ク新日本建設ヲ実現セシムル計画ニ対シテ日本国民ヲ援助スル為ニ茲ニ左ノ指令ヲ発ス

(中略)

(ヌ)公文書ニ於テ「大東亜戦争」、「八紘一宇」ナル用語乃至ソノ他ノ用語ニシテ日本語トシテソノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト切り離シ得ザルモノハ之ヲ使用スルコトヲ禁止スル、而シテカカル用語ノ却刻停止ヲ命令スル

文部科学省:https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317996.htm

ちょっと豆知識②

1951年サンフランシスコ平和条約調印のあと、1952年(昭和27年)4月11日に公布された「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」(法律第81号)では、ポツダム宣言受諾によって発された法令(命令)は、別途廃止または存続に関する措置がなされない場合においては、法制化されない限り失効するとされました。

日本政府は措置を行わなかったため同法は失効しましたが、この後に制定された法令の条文などでも「大東亜戦争」という表現は使用されず、「太平洋戦争」あるいは「今次の戦争」などの表現が使用されています。


2006年・2007年 日本政府による公式見解

鈴木宗男の国会質問主意書全255本

2006年(平成18年)の第165回国会(臨時会)、翌2007年(平成19年)の第166回国会(常会)で、2つの質問主意書が提出されており、その答弁書によって日本政府の公式見解を見ることができます。

下記長いため、結論から言うと「正式な呼称は法令上定められていない」です。
定義も定められていないため「日中戦争を含むかも定義されていない」とのこと。
そしてGHQが1945年12月15日に発した覚書以降、公文書において使用しなくなった。

「太平洋戦争」に関しては、「在外公館等借入金の確認に関する法律」などで使用されていたとのことですが、こちらも同様に定める法令はないとのこと。
なお、上記法律が定められたのは昭和24年と、神道指令が効力を持っている時期のため、「大東亜戦争」が使用できないこと、代替として「太平洋戦争」が用いられていたため使用された、と見ることができそうです。

大東亜戦争の定義に関する質問主意書(第165回 - 質問第一九七号)

  • 一 大東亜戦争の定義如何。大東亜戦争という呼称の法令上の根拠を明らかにされたい
    • 一について昭和十六年十二月十二日の閣議決定において、「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とされているが、お尋ねの定義を定める法令はない。
  • 二 太平洋戦争の定義如何。太平洋戦争という呼称の法令上の根拠を明らかにされたい。
  • 三 太平洋戦争に一九四一年十二月八日より前に行われていた日中間の戦争が含まれるか。
    • 二及び三について「太平洋戦争」という用語は、在外公館等借入金の確認に関する法律(昭和二十四年法律第百七十三号)等に使用されているが、お尋ねの定義を定める法令はなく、これに日中間の戦争状態が含まれるか否かは法令上定められていない。
  • 四 政府は、いつから大東亜戦争という呼称を用いなくなったか。その経緯と法令上の根拠を明らかにされたい。
    • 四について昭和二十年十二月十五日付け連合国総司令部覚書以降、一般に政府として公文書においてお尋ねの呼称を使用しなくなった。
  • 五 政府は公文書に大東亜戦争という表記を用いることが適切と考えるか。
    • 五について公文書においていかなる用語を使用するかは文脈等にもよるものであり、お尋ねについて一概にお答えすることは困難である。

大東亜戦争の定義等に関する質問主意書(第166回 - 質問第六号)

  • 一 大東亜戦争の定義如何。
    • 一について昭和十六年十二月十二日当時、閣議決定において「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とされている。
  • 二 太平洋戦争の定義如何。
    • 二について「太平洋戦争」という用語は、政府として定義して用いている用語ではない。
  • 三 大東亜戦争と太平洋戦争は同一の戦争か。
    • 三について「太平洋戦争」という用語は政府として定義して用いている用語でもなく、お尋ねについてお答えすることは困難である。「大東亜戦争」に関しては前述した通り「閣議決定」はされたものの定義を定める法令はない。

主だった呼称とその理由

歴史認識などの問題で多くの名称が存在していますが、大きくくくると3つに分けられそうです。

  • 大東亜戦争」「太平洋戦争」「アジア・太平洋戦争」「極東戦争」など、地域や戦域から取ったもの
  • 「昭和戦争」「15年戦争」「第二次世界大戦」など、年号や年代、歴史の連続性から取ったもの
  • 「今次大戦」「先の大戦」「過去の戦争」など、抽象化し特定名称の明言を避けるもの

代表的なものは、「大東亜戦争」「太平洋戦争」「第二次世界大戦」で、天皇や政府などは「今次大戦」「先の大戦」などを用いられるようです。
その他は自分も初めて知ったものが多いですが、「アジア・太平洋戦争」は最近使われ始められた名称のようです。

  • 大東亜戦争
    • 当時の日本で閣議決定され、戦後も間もなくまで用いられていた名称
    • その後も、歴史認識、戦域の一致、地域呼称として適当というのが使用しているひとたちの主な理由
    • 中南米の「太平洋戦争」との区別する点でも海外でも一定の認知がある
    • ただしアジアに対する侵略戦争、当時の軍国主義思想を連想させるとして、政治的・イデオロギー的に避けられる傾向もある
  • 太平洋戦争
    • 1925年(大正14年)の日米未来戦記『太平洋戦争』などが初出の模様太平洋戦争の名称自体は日米戦争を現すものとして戦前から使われており、戦争名討議の際にも海軍が提案している
    • 前述の通り、戦後GHQの「太平洋戦争史」を筆頭に使用され、アメリカとマスメディアを中心に広められた
    • 積極的に使用というより「大東亜戦争」に対するネガ、他に適当な呼称がないことから使用されている面もある
    • 欠点としては示される&連想される地域が狭すぎ、日米2カ国に限定されるイメージがある
  • アジア・太平洋戦争
    • 近年使用されるようになってきた名称のようで、学校の教科書等でも採用されているケースがあるとのこと
    • 「太平洋戦争」の欠点であった戦域を、アジア・太平洋戦争とすることでカバーしているが、アジアとなると広大すぎる(中央アジアや西アジアなども含まれる)ため、適当ではないとの意見もみられる
  • 一五年戦争
    • 1931年柳条湖事件を契機として、、満州事変・日中戦争・太平洋戦争をひとつ流れと捉えての名称
    • ただし、連続性で捉えると歴史の岐路を見落とす可能性があることと、そもそも13年11ヶ月の期間を15年と定義するのは不適切ではないかという意見もあり、認知度は高くない
  • 昭和戦争・昭和大戦
    • 読売新聞で提唱された呼称のようですが、こちらも認知度はあまり高くない様子
  • 第二次世界大戦
    • 太平洋戦争、大東亜戦争のそれぞれが抱える欠点を補っている名称で、戦域の不一致やイデオロギー、政治思想的にも関係ない点が使い勝手の良さ
    • ただし、第二次世界大戦は1939年(昭和14年)9月1日ドイツのポーランド侵攻が起点との通説ではあるものの、その後の独ソ戦、真珠湾攻撃を経て世界大戦になった=1941年12月8日からの戦争を指すのが正しいという意見もある
    • 真珠湾攻撃を起点とすることで、「支那事変(日中戦争)」が含まれない印象がある点も、決め手にかける要素の一つ
    • 他の言い方として、「第二次世界大戦の太平洋戦線」という言い方もあるようですが、当事者感も薄く、単独での名称にはならなそう
  • 先の大戦・過去の対戦・今次大戦
    • 天皇や政府の談話など、公の場で用いられることが多い(第二次世界大戦もある)

最後に

当たり前のように使っていた呼称たちが、実は「正式な呼称は定められていない」というのが驚きでした。
むしろ定められていないからこそ、幾つもの呼称が使用されているんですね。

個人的には強いてあげるとすれば、このなかでは「大東亜戦争」が適当なようにも思えます。
もちろん侵略戦争を賛美も否定もするつもりはありませんが、事実は事実として認識することは大切かなと。
歴史の岐路を見落とす可能性があると前述しましたが、当時使用していた名称を避けることで、かえって当時の価値観から目を逸らしているような印象を受けるためです。
とはいえ国として定めてしまうと、国際的な政治上の問題などあって難しいのだとも思いますが。
(個人としても定めにくい・決めにくい問題だとは思います)

過去の歴史も日々新しいものに変わっていきますし、今後はどのような呼称になっていくのか、行く末を見守りたいものです。


参考文献


  • この記事を書いた人
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てんこ

40代シンパパ。マーケティングリサーチャー。小学校高学年で光栄「三国志」にハマり、「提督の決断」にも手を出し、高校時代から架空戦記が愛読書。戦記物が大好き。歴史大好き。バンドにもハマって今でもBassが心の友。空き時間で資格勉強中(取得済:メンタルヘルス・マネジメント検定Ⅱ種・Ⅲ種)。老後を見据えた趣味として、歴史に関する考察などを書いていきたいです。

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