はじめに
太平洋戦争をかじったことがある人なら聞いたことがあるであろう「酸素魚雷」。
日本海軍の3大ロマン兵器のひとつに挙げられると思います。
いきなり「ロマン兵器」というカテゴリーに分類したため、「あ、活躍しなかったんだな」と思われた方もいらっしゃるかと思います。
「活躍しなかった」は語弊があり、「活躍した場面はあった」が「当初想定していた戦果を上げる機会に恵まれなかった」が正しい認識だと捉えています。
今回はそんな「酸素魚雷」について、簡単にまとめていきたいと思います。
酸素魚雷とは
冒頭で述べた通り日本海軍が使用した魚雷で、圧縮空気ではなく純酸素を主動力とした点が他の魚雷との大きな違いです。
当時の魚雷は大きく次の2タイプに分類されます
メリット | デメリット | |
---|---|---|
①電気式:電池による電気モーター式 | ◯雷跡(駛走後)がない | ▲速力・射程が②熱走式より劣る |
②熱走式:燃料と酸化剤である圧縮空気による内燃機関式 | ◯速力・射程が①電気式より勝る | ▲雷跡が長く残る |
主流は②熱走式でしたが「多量の排気ガス」が排出されます。
排気ガスの構成物質は「二酸化炭素」「水蒸気」「窒素」であり、その中でも体積の約75%を占める「窒素」は、水に溶けにくい性質を持ちます。
そのため、排気ガスによる気泡が明瞭な白い線(雷跡。魚雷の駛走跡)が海面に長く残ってしまい、敵に発見されやすい=回避されやすいデメリットを抱えていました。
酸素魚雷は、酸化剤である圧縮空気に替えて純酸素を用いたものです。
純酸素の場合、不純物の極めて少ない炭酸ガス(二酸化炭素)を排出するため、水に溶けやすく、雷跡を数m程度に抑えることができ、敵に発見されにくい=回避されにくいというメリットを持ちます。
また、圧縮空気よりも燃料効率がよい(燃料である酸素の割合が増える)ため、より高速・長射程化に加えて搭載炸薬量を増やせるメリットもありました。
もちろん良いこと尽くしではなく、純酸素を用いるには危険性が高く、他国は実験中に事故が多発し、最終的には開発を断念しています。
一方日本海軍は諦めずに研究を重ね、発想の転換もあって実用化を成功させます。
事故の主な要因は当然ながら酸素で、燃料と純酸素が接した状態で引火すると爆発してしまう。特に魚雷のエンジン始動時に、点火と同時に爆発してしまう危険性が高くありました。
発射直後~暫くの間は純酸素でなくても(雷跡が目立っても)構わない。
敵に近づくまでに純酸素になっていれば(雷跡が目立たなくなっていれば)良い。ということで、エンジン始動時は通常通り圧縮空気を用い、徐々に純酸素に切り替えていく方式を採用したのです。
そんな苦労を重ねて実用化した酸素魚雷ですが、いざ実戦を迎えた後も苦労が絶えなかったようです。
ちょっと豆知識①
日本海軍の魚雷全てが酸素魚雷だった訳ではありません。
酸素魚雷は1933年(昭和8年)制式採用の九三式魚雷ですが、最初から搭載していたのは陽炎型駆逐艦以降になります。
航空機用にも酸素魚雷の導入が検討されましたが、投下の衝撃に耐えられない、雷跡を隠す意味がない(敵の眼前で投下している)などの他、航空機用の九一式魚雷が「優秀なため変える必要がない」ことも理由にあがっています。
諸元
日本海軍が酸素魚雷(九三式魚雷)前に採用した「九〇式魚雷」と、アメリカ軍やイギリス軍が採用していていた魚雷を比較してみようと思います。
九〇式魚雷 ※空気式 | 九三式魚雷一型 ※酸素魚雷 | 九三式魚雷三型 ※酸素魚雷 | (アメリカ) Mk12 | (イギリス) 21インチ・マークⅨ | |
---|---|---|---|---|---|
全長 | 8.5m | 9m | 9m | 6.88m | 5.27m |
直径 | 61cm | 61cm | 61cm | 53.3m | 53.3m |
重量 | 2,500kg | 2,700kg | 2,800kg | 1,590kg | 1,693kg |
射程 | 10,000m(42kt) 7,000M(46kt) | 40,000m(36kt) 20,000m(48kt) | 30,000m(36kt) 15,000m(48kt) | 13,700m(27.5kt) 9,144m(35.5kt) 6,400m(44kt) | 13,700m(35kt) 10,050m(41kt) |
弾頭重量 | 400kg | 九七式爆薬 490kg | 九七式爆薬 780kg | TNT 226.8kg | Torpex 365kg |
弾頭重量 (TNT換算) | - | 588kg相当 | 936kg相当 | 226.8kg | 583kg相当 |
酸素魚雷(九三式魚雷)のスペックの高さには驚きです。
他の圧縮空気式魚雷と比較すると、速力・射程・炸薬量いずれも大きく上回っています(サイズも一回り上回っていますが)。
これに加えて雷跡の短さ(視認性の低さ)が加わるのですから、積極的に活用して戦果を期待したくなる気持ちもよくわかります。
参考までに「弾頭重量(TNT換算)」を用い、破壊力の単純比較を行っていますが、ちょっと自信がないです。。
「水中爆発力はTNTに劣る」としつつも換算すると上記表のように換算量が上回っている資料が多く、どちらを採用して良いものか…でした。
今回は「九七式爆薬はTNT爆薬の1.2倍相当」というデータを用いて掲載しています。
ちょっと豆知識②
「酸素魚雷」という名前を連呼してきましたが、実は「酸素魚雷」という名前は機密保持のため使用されていません。
「純酸素」「純粋酸素」という言葉も使用されず、「第ニ空気」などといった言い回しで用いられています。
実際の活躍
ルンガ沖海戦
恐らく酸素魚雷の期待に応える戦果をあげた、数少ない海戦の一つです。
ガダルカナル島を巡る戦いの一つで、第三次ソロモン沖海戦の後に生起しています。
1942年(昭和17年)11月30日、ガダルカナル島への鼠輸送作戦を実施。
田中頼三少将率いる駆逐艦8隻(旗艦「長波」以下、「高波」「黒潮」「親潮」「陽炎」「巻波」「江風」「涼風」)が、ガダルカナル島へのドラム缶揚陸作業中にアメリカ水上部隊が接近。
その陣容は重巡洋艦5隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻の計12隻と、質量ともに相手が上回っていました。
警戒艦「高波」が味方に敵発見の報を送るとともに、敵艦隊の攻撃を引き受けている間に、他の駆逐艦は体制を立て直して一撃離脱戦法を実施。各艦魚雷を発射して退避しました。
「高波」に集中砲撃を浴びせていたところに日本軍の魚雷が次々と接近、巡洋艦部隊に命中して大混乱に陥ります。
結果日本軍側は「高波」を喪失したものの、重巡「ノーザンプトン」沈没、重巡「ニューオリンズ」「ミネアポリス」「ペンサコラ」大破と、劣勢な状況下ながら重巡洋艦1隻撃沈、3隻大破の戦果を上げました。
※ただし作戦目標の輸送作戦は阻止されているため、日本軍側の戦術的勝利・戦略的敗北と評価されています。
魚雷発射距離は10,000メートルを割り込んでおり、通常の圧縮空気型魚雷でもギリギリ射程範囲内です。
が、アメリカ艦隊の全艦気付かず被雷していることからその隠密性と、重巡洋艦を魚雷1本で戦闘不能にする破壊力は、酸素魚雷ならではの戦果と言えましょう。
空母「ワスプ」撃沈
ガダルカナル島への増援部隊の護衛を行っていたアメリカ第17任務部隊(空母「ホーネット」含む)と第18任務部隊(空母「ワスプ」含む)。
1942年(昭和17年)9月15日、潜水艦「伊19」が空母を含む敵艦隊(第18任務部隊)を発見し、単艦で魚雷攻撃を実施。
空母「ワスプ」撃沈、戦艦「ノースカロライナ」中破、駆逐艦「オブライエン」撃沈と、潜水艦一隻による一度の魚雷攻(6本)で上げた戦果です。
伊19は空母「ワスプ」の約900メートルという至近距離から、中速(45ノット、射程12,000メートル)に設定した九五式魚雷6本(艦首の魚雷発射管に装填したすべて)を発射。
空母「ワスプ」には3本命中、外れた魚雷3本は「ワスプ」の後方約10,000メートルにいた第17任務部隊に突入し、駆逐艦「オブライエン」、戦艦「ノースカロライナ」にそれぞれ1本ずつが命中しました。
空母「ワスプ」へは至近距離からの発射でしたが、そのはるか後方にいた「ノースカロライナ」「オブライエン」にまぐれとはいえ命中していることから、その長射程と1本の魚雷で戦艦を長期間作戦行動不能にした破壊力が発揮された戦いと言えそうです。
スラバヤ沖海戦
こちらは海戦初期の1942年(昭和17年)2月27日から3月1日にかけて生起した海戦の一つです。
参加艦艇数はほぼ互角か若干日本軍側が上回り、また連合国軍は4カ国の艦艇を集めて急遽編成された艦隊のため、指揮系統などに不安を持っていました。
両軍ともに遠距離からの砲雷撃戦に徹したこともあり、砲撃・雷撃ともに命中率はすこぶる悪い結果に。
魚雷のみに限定すると、日本軍側は艦隊全体で188本発射し命中4本の命中率2%強という、本来想定していた10%を大きく下回るものでした。
これは両軍ともに回避運動を取りながら超遠距離(20,000メートル前後)での砲雷撃戦に終止した結果でしょう。
いくら通常魚雷よりも高速の酸素魚雷といえども、20,000メートルを走破するのに48ノット(約89km/h)で約12分かかる(同航戦想定)ため、未来位置を想定して扇状に撃っても当てることは困難でしょう。
ジェイロスコープの不調や信管の調整不備も命中率低下の原因に挙げられていますが、一番の要因は「遠すぎ」だと思います。
ちなみに命中した4本のうち1本は夜戦時の乱戦の中で蘭駆逐艦「コルテノール」に、うち1本は1,000メートルまで近づいて米駆逐艦「ポープ」を雷撃処分した際に命中もの。
明確な戦果と言えるのは、7日深夜の夜戦時に「那智」「羽黒」が発射した魚雷12本のうち2本が蘭軽巡洋艦「デ・ロイテル」「ジャワ」に命中したもの。両軍約12,000メートルから砲撃を開始し、日本軍側はその間に魚雷を発射。砲撃を交わしている間に魚雷が到達・命中という、狙い通りの戦果を上げたのでした。
ちょっと豆知識③
スラバヤ沖海戦の後に生起したバタビア沖海戦では、その長射程が仇になりました。
重巡洋艦「最上」が米巡洋艦「ヒューストン」を狙って発射した酸素魚雷6本が敵艦をすり抜け、その射線上にいた護衛している日本陸軍輸送船団まで到達、これを撃沈破してしまうという惨事が発生しました。
揚陸艦「神州丸」、輸送艦「佐倉丸」「龍野丸」、病院船「蓬莱丸」、掃海艇「第二号掃海艇」の計5隻を撃沈してしまったのです(うち「神州丸」「龍野丸」はサルベージされて戦線復帰)。
「神州丸」には第16軍司令官今村均中将も座乗していましたが海に投げ出され、重油の流失した海を約3時間漂流しています。
後日訪れた海軍指揮官に対して謝罪を快く受け入れ、「この損害は敵魚雷艇の攻撃によるもの」という提案をし海軍の顔も立てるなど、器の大きい今村中将でした。
最後に
日本海軍の努力の結晶とも言える酸素魚雷ですが、期待した場面での活躍はあまりありませんでした。
兵器や運用面の問題というより、時代の流れにより想定していた艦隊決戦が発生しなかったことにあります。
スラバヤ沖海戦などの戦訓が活かされた九三式魚雷「三型」は、射程を短くして爆薬搭載量を増やすという、欠点を修正しつつも長所を伸ばしていきました。
個人的には、より短射程&高破壊力に振っても良かったように思いますが、登場が1944年になるため、使用できそうな主要な海戦はフィリピンを巡る戦いしか残されておらず、戦局には大きな影響を与えなそうです。
酸素魚雷を最大限活用するため、軽巡洋艦「北上」「大井」「木曽」(木曽は計画止まり)を重雷装艦に改装することまでやってのけましたが、活用場面がなく高速輸送艦や回天母艦に改装されていきました(重雷装艦も酸素魚雷とセットで語りたいロマン枠です)。
そんな水雷戦のロマンを背負った当兵器でしたが、戦争末期には特攻兵器「回天」に改造され、若者とともに太平洋の海へ消えていきました。
活躍できなかっただけなら兎も角、特攻兵器として使用されてしまったのは何とも言えない気持ちになりますね。