1941年(昭和16年)12月8日、ハワイ・オワフ島の真珠湾内に停泊中の米艦隊に対し、空母6隻を基幹とした日本機動部隊が空襲攻撃した作戦です。
*第一航空艦隊(第一航空戦隊:『赤城』『加賀』、第二航空戦隊:『蒼龍』『飛龍』、第五航空戦隊:『翔鶴』『瑞鶴』)
結果もご存知の通り、停泊していた米戦艦8隻中4隻撃沈、1隻大破挫傷、3隻損傷。その他標的艦と機雷敷設艦各1隻撃沈など、多数の艦艇にも損傷を与え、米航空兵力の陸海軍機合計で188機を撃墜破しています。
攻撃は一撃(第一次攻撃隊の第一波と第二波)のみで終わり、再攻撃を実施しなかったことに対しては、当時から現在に至るまで批判があります。
日本機動部隊が第二撃を実施しなかった主な理由は以下などです。
主な理由
- 元々の計画で、攻撃は一度だけになっていた
- 第一次攻撃隊第二派の被害が大きかった
- 敵空母の所在が不明だった
- 港湾施設への攻撃は成果が乏しい
- 実施前から燃料・弾丸・爆弾・魚雷等に制限があった
今回は「第一次攻撃隊の被害が大きかった」ことにフォーカスし、「実際の被害状況」と「第一次攻撃実施後に使用可能な機数」を調べてみました。
日本機動部隊の空母搭載機・使用機数
まずは1941年(昭和16年)10月1日時点の編成(左)と、真珠湾攻撃直前(右)の搭載機数です。
空母『加賀』の搭載機のみ、「1941年10月1日時点」と「真珠湾攻撃直前」の機数に相違があります。
同資料の付録第六「大東亜戦争開戦時における航空隊、艦船搭載機定数表」によると、『加賀』の艦爆が常用・補用含めて「30機」とあるため、『加賀』のみ搭載機定数に変更があったと思われます。
攻撃前真珠湾攻撃直前の保有機は、空母6隻合計で「艦上戦闘機120機」「艦上爆撃機135機」「艦上攻撃機144機」の計399機です。
*全て、艦上戦闘機=零式艦上戦闘機、艦上爆撃機=99式艦上爆撃機、艦上攻撃機=97式艦上攻撃機
第一次攻撃隊(第一波・第二波)の編成と攻撃目標
第一次攻撃隊第一波は183機、第二波は167機の計350機です。
攻撃に際し、航空母艦の航空甲板の大きさから、一度にすべての搭載機を発艦させることはできず、約半数ずつ(「第一波」「第二波」)に分けて発艦さる必要があります。
①第一波を甲板に並べて発艦させる
②空いた航空甲板上に第二波を甲板に並べ、発艦させる
この手順を踏むため、第一波発艦後、第二波を発艦させるまでに1時間~1時間半ほど間隔が開きます。
第一波は、一航戦(『赤城』『加賀』)、二航戦(『蒼龍』『飛龍』)が艦攻隊を、五航戦(『翔鶴』『瑞鶴』)が艦爆隊を発艦。
第二波は、一航戦と二航戦が艦爆隊、五航戦が艦攻隊を発艦させています。
各隊の攻撃目標は第一波・第二波ともに共通しており、一航戦と二航戦が敵艦隊を、五航戦が敵飛行場を担当しています。
これは編成間もない「五航戦の練度は一航戦・二航戦に劣る」と見られており、比較的攻撃が容易な飛行場を任せられたためです。
第一波の一航戦・二航戦艦攻隊は、水平爆撃隊49機・雷撃隊40機の2つに分かれています。
水平爆撃隊は長門型戦艦の41cm主砲弾を改造した800kg爆弾を、雷撃隊は真珠湾攻撃用に改造された浅沈度魚雷を使用しました。
ちょっと豆知識
*この後に生起する「珊瑚海海戦」で、五航戦を中心とした機動部隊が敵空母をあと一歩まで追い詰めたことから、「妾の子でも勝てた」、「一航戦・二航戦ならば米空母など相手にならない」という広言されることもあったそう。
*練度に劣る、というか一航戦・二航戦の練度が高すぎただけで、五航戦の練度は「他国で教官が務まるレベル」だったとも言われています。
第一次攻撃隊(第一波・第二波)の被害状況
第一次攻撃隊の帰還機は合計321機(出撃時は350機)です。
第一次攻撃隊の未帰還機は合計29機(第一波9機、第二波20機)。
第一波攻撃から1時間ほど遅れた第二波は、第一波よりも被害が増しています。
また、第一波・第二波共通して、加賀隊に被害が集中しています。
未帰還機を除いた全てが再出撃可能かというと、そうではありません。
帰還後に整備が必要な機体もあれば、被弾などで損傷した機体は修理も行う必要があります。被弾・損傷具合によっては修理不能な機体もあります。
帰還時に被弾していた機は思いのほか多く、下記表の通り「110機以上(『飛龍』の損傷機数は不明のため除く)」にのぼります。
*wikipediaには「損傷機74機」とありますが、参照の出典元を読んでいないため、ここでは引き続き「戦史叢書 第010巻」を元に進めています。
その結果、収容直後に出撃可能な機数は計255機と、攻撃直前399機の約6割まで減少しています。
その内訳は、艦戦80/120機、艦攻108/144機と一定数残していますが、艦爆は67/135機とほぼ半減しています。
特に敵艦隊を目標にした『赤城』『加賀』『蒼龍』の「艦爆」使用機数減が目立ちます(『赤城』2/18、『加賀』6/27、『蒼龍』7/18)。
急降下爆撃を行う艦爆は水平爆撃や雷撃よりも接敵時間が長いこともありますが、米軍側が混乱から立ち直りつつあることもうかがえます。
(同目標の『飛龍』は損傷機数不明でしたが、再出撃可能機が多いため、損傷機は少なかったものと推察)
第二波攻撃隊収容後、「使用可能機数は?」と尋ねてこの表を見せられたら、第二次攻撃実施!とは即答できないのではないでしょうか…
まとめ
第一次攻撃隊第一波・第二波収容後に、即座に使用できる機数は計255機でした。
再攻撃可能の根拠に、『攻撃直前機数399機-喪失機29機=再攻撃使用可能機370機』の認識が前提にあるような気がします。
使用可能な機数の総数「だけ」をみて、もう一度真珠湾を攻撃する「だけ」なら、やってやれないことはないと思います。
ただし、強襲になった第二波では被弾・未帰還合わせて85機以上と、出撃機の約半数を損傷・損失しています。
第二次攻撃を実施すると更に被害が増え、また被害に見合った戦果をあげられるかは微妙なところです。
※在泊艦艇の主力艦艇(戦艦)は概ね撃沈破しており、港湾施設は一度の攻撃では破壊できないため。
第二波を収容し終えた時間が現地時間1350頃、日没まで約4時間。即時再出撃した場合でも薄暮攻撃となり、当事荒れた洋上で夜間着艦を強いられます。
翌朝の攻撃にした場合、損傷機の中でも修理が終わり、使用可能機数が増える(損傷度合いは不明だが、修理後使用可能機は86機)と思いますが、アメリカ側にも立ち直りの時間を与えます。
また、最重要目標だった敵空母が未発見のままであり、それに備える必要もあります。
第二次攻撃を実施した後、更に減少した搭乗員・搭載機と、武器弾薬で迎え撃つのは難しそうです。
「負ける」とは言いませんが「無傷で帰る」のは…。なにせ場所はハワイ沖、敵中の真っ只中。万が一損傷艦が出てしまった場合、曳航して帰るのは無理でしょう。
ちょっと豆知識
*第二波終了後、山口多聞第二航空戦隊司令官は第一航空艦隊司令部宛に「第二撃準備完了」と信号し、再攻撃を催促した、という話があります。実際には、山口司令官は搭乗員や航空参謀から再攻撃の意見具申を強く要望されましたが、「南雲さんはやらないよ」と呟き、意見具申は行っていません。
*「第二撃準備完了」までの行動は、攻撃隊収容後に行うことが決まっていたことで、再攻撃を前提としたものではないそうです。敵の反撃に備える当然の行動と思いますし、山口司令官に再攻撃督促の意図はなかった、という意見に賛成です。
山本五十六提督は、空母に被害が及んでも、米国が戦意を喪失するぐらい叩いて欲しかったようですが、その意図は軍令部にも南雲艦隊司令部にも伝えられていません…
真珠湾再攻撃は、宇垣中将の言葉を借りれば「将棋の指しすぎ」、孔子曰「過ぎたるは及ばざるが如し」。
実施せずに帰投する判断は間違いではないと考えます。